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肝心なところで音楽を止めるヤツら/Criminal Justice and Public Order Act 20XX─空音央『HAPPYEND』

「自分が書かなければもしかしたら誰もこのことを指摘しないのではないか?」というとき、人は書きはじめるのかもしれない。SNS上に流れる『HAPPYEND』評をみるにつけ、絶賛の類が多く、その中でも「音楽がイイ」というものがあった。 本作の音楽...
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傑作はいかにして見過ごされるか?ー不遇論ー(あるいは”暴力について”の映画の系譜) ──二ノ宮隆太郎『若武者』

今や世界的に知られるという前置きを置くことすらも必要ないほどの巨匠となった映画監督、北野武の第4作目『Sonatine』、現在でも池袋の新文芸坐で幾度となく上映されており、ビートたけし世代でない若い世代の客が多く鑑賞しているという。イギリス...
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「清貧」にはカネがかかる。あるいは物語と現実の綱引き(仮)──Wim Wenders『PERFECT DAYS』

先日、読書会などを開催している、行きつけの飲食店で映画『Perfect Days』の話になったとき、ある人が、本作はヨーロッパ人に向けて作られた、オリエンタリズムよろしくのジャパニーズ”清貧”で、プロデューサーが富裕層という時点で、欺瞞に満...
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短い喪の記録

1月28日 日曜日 母が亡くなったと報せを受ける。こうなることは事前にある程度わかっていて、準備もしていたから、それほどの動揺はなかった。しかし、先週までかろうじてにせよ生きていたひとが、あっけなく死んでしまう、その動揺のなさ、「ひとが死ぬ...
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「俳優が役の身体を獲得する過程」とはあくまで生活において如何なる意味をもつか──草野なつか『王国(あるいはその家について)』

『王国(あるいはその家について)』は、俳優たちのリハーサルの本読みを通して、俳優の声や身体が、どのように変化するのかを捉えた実験的作品である。 冒頭、ある出来事が提示され、警察の事情聴取のシーンから始まる。この時点で本読みやリハーサルは行わ...
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福間健二『きのう生まれたわけじゃない』

年長者、老人という存在は映画の中において特別な役割を与えられることが多い。たとえば全知全能とまでは言わないがモノを知った存在として他の登場人物たちを助ける役割だったり、価値観が古めかしく若い人を攻撃する絶対的な悪者としての役割だったり、病気...
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衛生と営巣

いつだってそうでなければならないと思っている。じぶんの身体を実験の行われる場として、さまざまな試行を受け入れる受容体として機能させること。しかしわたしたちは日々提供される無数の実践や作品を仔細に検討することなく生きることができてしまう。とり...