傑作はいかにして見過ごされるか?ー不遇論ー(あるいは”暴力について”の映画の系譜) ──二ノ宮隆太郎『若武者』

Gbri田Ciou$太郎

今や世界的に知られるという前置きを置くことすらも必要ないほどの巨匠となった映画監督、北野武の第4作目『Sonatine』、現在でも池袋の新文芸坐で幾度となく上映されており、ビートたけし世代でない若い世代の客が多く鑑賞しているという。イギリスBBC「21世紀に残したい映画100本」に選出されたこの作品が初上映された1993年、2週間で打ち切りになったことでも知られている。このエピソードはいわゆる「早すぎた傑作」と説明するための逸話であるのだが、このテの「早すぎた傑作」というキーワードは大衆にとって「カスタードクリームたっぷり」という触れ込みと同じくらいに大好物である。言葉を変えれば「傑作を見過ごしてしまった」のはわたしたち」であり、あまり褒められたものではないのだが。

とはいえ、映画がヒットしたり、世界的に評価されるのは「わたしたちが見過ごした」から「だけ」ではもちろんなく、業界の構造的な問題や社会情勢なども関係した複合的なことだ。今日もまたひとつ見過ごされようとしている傑作がひとつ、またひとつと増えていき、わたしたちは、あとから気づくことになる。『若武者』あまりにもさらっと公開され、あまりにも素晴らしい空間、俳優たちの所作、カメラワークのシークエンス群に驚かされるのだが、それに反する客入りの評判を聞くに、現実感が乏しくなる。しかしこの評判というものが爆発するのも時間の問題といったところで、むしろ不遇であること、評判を溜め込むことができることも作家の才能の一つであるとも思うのだ。誰しかり彼しかり、その有り余る大きな飛躍を前にして/からこそ、評価が適切に行われない場合がある。

そろそろ若武者の話に戻ろう。渉という青年が、公園の遊具を足蹴りしていた時、北野武監督作『3-4×10月』のたけし演じる上原というチンピラヤクザが高級車を足蹴りする風景がふと浮かんできた。ふと、ではない。確信をもって。

1990年代の男性の凶暴性をぶつけるものは高級車から30年経ち、公園の遊具へと変化したことを考えると、映画における衝動を帯びた暴力というものはもうすでに、役目を終えたのではないか、と考えていた。若武者は、ここ30年近い邦画の歴史においての、暴力の持つカタルシスなどと呼ばれる、しかしそれはエクスプロイテーション的な側面しかもちえない、バイオレンスポルノを告発した。唯一の暴力のシーンが、いかに地味で、つまらないものであるかを物語っている。彼は一発で倒れ、したたり、後日入院して快方に向かうのだ。なるほど、これは暴力ポルノをみたい層がいたとしたら、拍子抜けするのも当然であろう。復讐などといった明確な動機も規定されておらず、――いや正確にいえばわたしたちは映画の空間からそれを読み取らなければいけなく、そして本作においてそれは端正に整備されてはいる――、しかしそれができるのであれば、その人間は生活の端々からもそれらを読み取り可能で、もはやわざわざ映画など観にきさえしないかもしれない。だからこそのわかりやすい暴力を観にくるのかもしれないが。いわば若武者は暴力のビニ本として大々的に売り出したにも関わらず、生活によってくたくたになった脱ぎ捨てられた肌着の写真と、蓮實重彦の評論が載っていたエロ本のようなものなのである。(それはそれで価値がつきそうではあるが)例えば近年においてはワールド・イズ・マインを地方都市の日常に落とし込んだ『ディストラクションベイビーズ』などが類似作品として挙げられるだろうが、『若武者』には臨場感のために手ブレを起こすというショットがひとつとして存在しないし、また現場が盛り上がりアドリブのひとつやふたつ入ってもおかしくないが、それすらもない(脚本からセリフはひとつとして変えてないという)このように玉ねぎの皮をめくっていくと最後に何も残らないように、何が写って、何を試みていたのか、まるで記憶を喪失したかのように思い出せず、しかしその痕跡の手触りは残り続ける。例えば、英治という生意気な青年は、友人に後ろから驚かされると、過剰に身をすくめる。当初は些細な演出がなされているナアとその程度に思っていたのだが、SNSでの指摘で、三人の日常でこの背後からの運動が執ように反復されていることに気付かされる。なるほど、この演出は非常に興味深く、こうすることで彼らが正面を向くことが日常のなかで異化されている。このような細やかな演出が可能な監督なので、日常に過去が埋没したような何も起こらないストーリーテリングも抜群にうまい。

しかしこれはどうゆうことだろう。わたしは「背後」を「過去」に「正面」を「未来」のように解釈してしまう、しかし映画の言葉はそういった議論に進む前の前の、もっと前の段階で止まってしまっている。『若武者』の言葉が出揃うのも、それこそもっともっと先のような気がして非常に歯痒さを感じざるをえなかった。

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